もくの日暮らし

東京の片隅に住む、子なし専業主婦の日々を綴ります。

もしも英語が使えたら

こんにちは。

今日は冷えますね。昨日と10℃も違う。今回で春の揺さぶりは最後であってほしい、もくです。

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春よ、もうそろそろ落ち着いておくれ。

お題は「もしも英語が使えたら」。

(最近、お題に頼りっぱなしです…)

三つやりたいことが思い浮かびました。

まず一つ目は、英語の本を原文で読みあさりたいです。

訳者の表現を介さずに著者の表現を味わってみたい本好き人間。

 

少し脱線しますが、和訳って英語を習得する際に必要なのか疑問です。英語を日本語に変換するのが苦手なので、そう思うのかもしれませんが…。英語を英語のまま理解できる回路を作ってしまうほうが、すんなりいきそう。

受験のための英語教育しか受けてこなかった世代なので、英文を読んでいても勝手に日本語に変換する感覚が身についてしまっていて、それが邪魔な気がします。

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二つ目は、他の国に住んでみたいです。

この国は、いいところは勿論沢山あるけれど、わるいところも沢山あり。他の国に住んだことがないので比較することはできませんが、住んでいてそう感じます。

もっと年若い頃は、この国で女性であることのデメリットを強く感じることが多く、「こんな国捨ててやりたい」とよく思っておりました過激派です(今でもそう感じることはあります)。

英語が自由に使えたら、自分に合う国を見つけられる可能性が広がりますね。

あと、地元を離れて初めて地元の良いところ・悪いところが客観的に分かるように、日本を離れたら、もっと日本のことが分かるようになるのではと思います。自国をより深く理解する上でも、他の国に住んでみたいです。

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最後の三つ目は、自分の伝えたいことを言う!です。

以前、骨董市で英語圏の方が長襦袢を持って、「これは着物か?」と店主に聞いていました。

店主が黙っていたので、お節介ながらカタコトの英語で、

「これは長襦袢というもので、下着とワイシャツの間みたいなものだ」

というのを自分なりに言ってみたのですが、通じずに撃沈した苦い思い出があります。伝えたかったなあ。

 

やりたいことを書き連ねていたら、また英語を身につけたい欲が出てきました。

しかし、奮起しては挫折するを繰り返しすぎて、もはや学習性無力感の領域に達してしまっている私…。

英語習得、独学では無理そうなので、具体的な目標設定と、ある程度の投資をして取り組んだほうがよい気がします。

この人生で英語が使えるようになったら、大きな自信がつくだろうな。そして、楽しそう!

 

それでは、本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。