もくの日暮らし

東京の片隅に住む、子なし専業主婦の日々を綴ります。

人生に生理がなかったら

この人生に生理がなかったら、

子供を持てないことで、あんなにのたうち回ることはなかったかもしれないな。

 

生理とは11歳の時から36歳までのお付き合いだったので、単純計算で25年×12ヶ月=300回。

 

生理が始まった頃から重い方だった。

中学生の時、体育の後貧血と痛みで動けなくなり、担任の先生に担がれて保健室に連れて行かれた。

高校生の時には、ピークが来てしまうと、脂汗をかいて息が吸えずに酸欠になるくらいの痛みと苦しさが襲いくる程の重さになっていた。

大学生の頃から、その重さに加えてPMSも段々激しくなり、1ヶ月のうち調子がいいのは、良くて1週間弱。あとは心身をホルモンに踊らされる日々。

 

これを300回も。

我ながらよくがんばったと思う。

 

病気ではないから大丈夫と表現されることもあるが、全然大丈夫ではない(実際、私は子宮内膜症という病気が潜んでいた)。

 

もっと早くに薬などでコントロールしたかったし、婦人科が身近であればよかったと強く思う。

 

 

現在、私は紆余曲折あり、生理が無い生活を送っている。

最初は「女」でなくなったような気がして、心に空虚を感じて辛かったが、慣れたら…

 

ひゃっほう!!

 

心も身体も一定の状態でいられるって、なんて快適で幸せなんだ…!

これまでいかにホルモンに翻弄されていたかがわかり、愕然とした。

あの苦労はなんだったんだ一体…。

 

ここで、ふと気づく。

 

ああ、あんなに苦労して毎度毎度耐えて頑張ってきたんだから、元を取りたくなるよね。

 

ここでいう元を取るとは、子供を持つこと。

 

だって生理って、子供を産むためにあるものだから。

 

望んでもいないのに、毎月毎月訪れる。

 

パートナーがいる時は、生理が来ないと耐え難く不安になり、不安になることで更に生理が遅れて不安が増大するの繰り返し(避妊はしているが、避妊していても不安)。

 

妊娠検査薬の恐怖。

 

結婚して、子供を望んだ時。生理が来たらホッとしてガックリのジェットコースターを何度も経験した。

 

挙げ句の果てに、苦労して維持し続けたその機能は使わず終わった。

 

単純に子供を授かれなかっただけではない。

女としての何かを否定されたような、狂おしいほどの苦しみがあった。

 

その何かとは、生理の苦痛に耐えてきた人生そのものだったのかもしれない。